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森下 雄一郎 

/biography
Morishita Yuichiro

社会活動家 / Social Activist 

/bio

1977年~1995年

 兵庫県尼崎市に生まれ、小学5年生の時にバスケと出逢う。

 中学、高校とバスケに明け暮れるが、全国大会などには出場できず、

 大学推薦をもらえないまま、関西の3つの大学を受けるが、全て落ちる。

 高校卒業後、友達からもらったビデオで世界最高峰の舞台「NBA」を知り、

 初めての「夢」と出逢う。その「夢」は、「NBAの舞台に立ってプレイがしたい」

1996年

 バイトで溜めた少しのお金と、バスケットボールを持って単身渡米。

 アメリカの公園にある「ストリートコート」にて挑戦が始まる。

1997年

 ニューハンプシャー州の短期大学からスカウトを受け、 同大学に入学、

 「NBAへの夢」に一歩近づく。

1998年

 米国大学リーグのアシスト王を獲得。 同年、優秀選手賞を獲得。

 この頃、初めて日本のメディアにも取り上げて頂き、KDDIのコマーシャル等に

 に起用して頂いた。

1999年

 メリーランド州にあるタウソン大学に編入し、 1年間だけ、在籍した。

 大学4年生となる年に、スカウトをしてくれた監督が 解雇になり、

 大学を辞めることになる。その後、大学からNBAへの道が途絶え、

 他の道を模索する中、米国にあるマイナーリーグの 存在を知る。

 日本へ一時帰国し、関西のベンチャー企業家の方々の 支援を頂き再渡米。

 アメリカの東西に渡り、何度もプロテストを受けた。

2000年~2001年

 米国マイナーリーグでのプロ選手として、 NBAへの挑戦がスタート。

 アトランタ州、デラウエア州、ニューヨーク州をはじめ、 数々の地域を転々

 しながら、挑戦をしてきました。

 

 

2002年

 「NBA」に最も近いマイナーリーグ(NBDL)から、

 日本人として初めてドラフト指名を受けました。

 ※この時の挑戦の模様は、2002年6月に、

  日本の番組、 「情熱大陸」に取り上げて頂きました。

2002年~2005年

 週契約のマイナーリーグで、毎週行われるチームへ残る為の トライアウト

 を受けながら、NBAへの階段を一歩一歩登っていきました。

 あと、一歩の所まで、辿りついた先に、 アメリカへ渡ってから約7年目に、

 アメリカのコートで、初めて相手コートに日本人がいました。

 そして、ロサンゼルスのコートでプロとして戦いました。

 

2006年

 「日本人初のNBA選手」として、 記者会見の場に立っていたのは、

 僕ではありませんでした。

 本当に悔しかったですが、 悔いはありませんでした。

 夢を叶えるための道は、幾つかあると思います。

 この挑戦は、そのすべての道を挑戦させて頂きました。

 それでも、叶えることができませんでした。

 なので、少しの悔いもありませんでした。

 「NBAに行けなければ、バスケを辞める」と決めて渡米し、

 夢が破れた自分にとって次の選択肢は決まっていませんでした。

 そんな中、アメリカで、NBAとは別に、 ストリートバスケットボールの

 世界最高チーム「AND1」が、世界的に絶大な人気となっていました。

 そのチームは、世界で約15名しか契約ができず、アジア人は誰一人も契約が

 出来ていませんでした。日本に帰って、バスケを続ける気は全くなかった自分は、

 今、思い返せば、 自分が、世界に挑戦してきたことの、 何かしらの証を

 残したかったんだろうと思います。

 

2006年

 「AND1」が全米にて実施していた、 プロテストを何度も受け、

 フロリダ州で、合格通知を受け、この年に、アジア人として初めて

 「AND1」と契約を交わしました。

 

2006年~2009年

 約4年間。 「AND1 MIX TAPE TOUR」に所属し、

 米国をはじめ、世界各国にて、試合などを行いました。

 

2009年

 「AND1 MIX TAPE TOUR」の一員として、日本での凱旋試合と共に、

 関係者スタッフなどのたくさんの方々の心意義のもと、引退試合として

 位置付けて頂き、 出身地の尼崎市にて引退をさせて頂きました。

振り返り

 1997年~2011年までの世界での挑戦。もっと言えば、小学5年生にバスケと

 出逢い、2011年までの、約20年間。本当に悔いが無く、 本当にたくさんの

 仲間に支えて頂き、とことん、とことん、 燃え尽きるまで、バスケをさせて

 頂きました。

 そして、僕が、このバスケ人生から得れた、

 最も大きなことは、「道」だったんだと思います。

 やんちゃで、親の言うことも聞かへん、どうしようもない僕がバスケと出逢い、

 約20年間で、本当に人間として、成長をさせて頂きました。本当に財産です。

 その「道」の中でも、 日本人として、成長をさせて頂いた出来事が、

 アメリカへ渡った最初の頃にありました。

 それは、ニューハンプシャー州でのビル・ミラーとの出会い

 そして、ニューヨークブルックリンでのビッグパパとの出会いでした。

 写真の通り、 ビルは、白人の親父。ビッグパパは、黒人の親父。

 僕はよく、笑い話で白人の親父がビルで、 黒人の親父がビッグパパと

 紹介してました。2人と僕との関係を深めて行く中で、 共通点がありました。

 それは、僕がアメリカへ渡った当時、帽子を斜め横にかぶり、

 ダボダボの服を着て、 ヒップホップという音楽を聞いて、

 黒人文化の勉強ばかりしていました。そして、それがカッコイイと思ってました。

 最初に2人と出会ったときに、 同じことを言われました。「お前は何人だ?」と。

 「日本人だ」と答えると、それであれば、お前が育った国や地域の「誇り」を

 俺たちに語ってみろ。と言われました。

 当時、20歳前後の僕は、 全く、母国を「誇り」に感じたこともなく、

 勿論、勉強も、必要性も感じたこともなく、

 自分の国のことを、胸を張って語ることなんて できませんでした。

 2人の親父は、こう言いました。 「お前が自分のルーツを勉強し、俺たちに胸を

 張って、「誇り」を語れた時、初めて俺たちは家族と呼びあおう」と。

 そして、「人種や文化、宗教、全てが違う人と人が出逢い、分かりあえるのは、

 互いが「誇る」違いを認め合うことからが、全てのスタートだ」と。

 本気で悩み、考え、 初めて、自分のルーツについて、

 そして、母国について、勉強をしました。

 世界に誇れる、日本の「誇り」 それは、探すまでもなく、

 そこに関心を持ち、振り返ると、先人の方々が、僕たちにたくさん残してくれ

 ていることにも気づきました。全ては気づきから始まる。

 その後、2人の親父とは、 街ぐるみで、仲間や家族が増え、

 いつまでも消えない、人と人としての 関係を結ばせてもらえました。

 実は、今、僕が活動をさせて頂いている、

 「SENDto2050 PROJECT」のルーツの一つは、

 この2人の親父との出会いがすごく大きかったんだと 思っています。

2009年9月

 「SENDto2050 PROJECT」 を始動。

 これまで1996年~2009年までの約13年間、世界を巡り、様々な違いのある人達と

 出会えてきたこと。そして、これまで2004年〜2009年まで微力ながら取り組んで

 きた社会活動を通じて、日本をはじめ世界の社会課題と直面してきました。

 

 2009年までの人生の全てをバスケットボールに捧げ、自己完結の「夢」のために

 究極な個人主義のもと突き進んできました。

 「生きている実感」「本気で生きてる」と日々感じれる道が「我がバスケ人生」

 あり、NBAという「夢」が、我が人生の全てでした。

 

 そして、2009年の引退後、「第一の人生」と同様の情熱を持ち、本気で生きれる

 「我が第二の人生」として、引退と同時に、「SENDto2050 PROJECT」と出会え

 ることができました。これは、元スポーツ選手として、本当に幸せなことだと心底

 感じております。

 

 そこには、現役時代でもあった2004年から、少しづつ社会活動をはじめてきてい

 たことが、「我が第二の人生」への大き架け橋となりました。

 

 スポーツ選手でありながら、社会活動に関心を抱き、現役中に活動してこれたの

 は、全ては大切な人たちとの出会いがあったからです。

 世の多くの人達が「私利私欲」「個人主義」に走る中、「利他心」「全体主義」を

 重んじて生きてる方々と出会えたことが、良くも悪くもバスケしか知らない純粋な

 自分にとって柔軟に受け入れることができました。

 もし、ここでの出会いが真逆の方向であったなら、「SENDto2050 PROJECT」が

 生まれることもなかったと思います。また、僕自身も引退後、途方に暮れていたと

 思います。

 

 これまで出会えてきた人達に感謝し、

 これまで「夢」のために突き進んできた分、

 これからの人生は「志」のために突き進でいきます。

 

 僕のこれまでの経験や出会いから育まれてきた「志」のカタチが、

 「SENDto2050 PROJECT」です。

 

 これからの我が人生の全てを、SENDto2050 PROJECT・ より良い未来づくりに

 捧げていきます。

 

 ※「SENDto2050PROJECT」については

  下記からオフィシャルホームページをご覧下さい!

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